精神分析

1、プロローグ Prologue

平成20年11月某日、新宿ヒルトンホテル マーブルラウンジ にて

編集部 今回の Special interview は、女性精神分析家お二人をお招きしました。立木歩実さんと天海有輝さんのお二人です。今日は、忙しいところ時間を割いて頂きありがとうございます。特に、天海さん(滋賀県大津市)は都内のクライアントへの出張セラピーで上京されている中での対談です。ありがとうございます。

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2、プロフィール Profile

編集部 お二人のプロフィールは以下の通りです。
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立木歩実
精神分析家。東京精神療法研究所(神奈川県海老名市)主宰。
1954(S.29)年10月10日生まれ
出身:神奈川県海老名市。二女の母。
尚美音楽専門学校ピアノ学科(東京都文京区)
(現:尚美学園大学 埼玉県川越市)卒業。
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天海有輝(宣照真理)
精神分析家。ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市)主宰。
1958(S.33)年4月22日生まれ
出身:滋賀県大津市。二女の母。
親和女子大学児童教育学科(兵庫県神戸市)卒業。
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3、精神分析療法との出会い

編集部 まず、お二人が「精神分析療法」と出会った経緯をお話下さい。
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立木 (微笑)私が「精神分析」と出会ったのは、15年前、私が39歳になったばかりの平成5年の11月のことでした。当時、夫が仕事上のストレスから「うつ病」に罹っており仕事を休職中で、私は方々の「診療内科」「精神病院」「メンタルクリニック」を百貨店の売場を巡るようにドクターショッピングしていました。

編集部 苦境の真っ只中ですね。

立木 はい、そんな時、知人の紹介で大沢先生(注1)のセラピーを受けました。
知人の説明もよくわからないまま、なんとなく始まったセラピーだったのですが、精神科医の話のような曖昧さが無く「何故うつ病になるのか?」「治療方法は?」との私の質問に先生は明確に答えられました。

「これなら夫のうつ病は完治する!」と確信が持て「この先生になら夫を託せる!」と思いました。夫がうつ病になってから5ヶ月間続いた暗闇からやっと開放されたのです。

どの病院のどの先生からも「大丈夫」という言葉は有りませんでした。今から思えば大沢先生の「大丈夫!」の一言が私を救ったような気がします。

編集部 天海さんはいかがでしょう。
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天海 私の場合「精神分析療法」を知ったのは、子育て問題がきっかけでした。偶然ですが私も立木さんと同じ15年前。私が35歳、上の娘が8歳(小2)、下の娘が5歳(幼稚園)の時です。
自分では娘たちを「伸び伸び大らかで優しく育てたい」と思っていながら、実際には朝から晩まで口うるさく指示命令し、娘たちを「早く、早く」と急き立てる毎日。娘からは「お母さんは何でハヤクハヤクがすきなん?」と言われる始末。漠然と「生き急いでいるのか?」と思いながら過ごしていました。
そんな時、父親が「先生がきてはるから、聞いてみ」と紹介したセミナーに参加しました。
当時、大沢先生は、私の実家(滋賀県大津市)で「やさしい心理学講座」を開催されており、たまたま参加したセミナーが大沢先生と出会うきっかけになったのです。今から思えばこれが運命の出会い(笑)でしたね。

「子どもが何をするにも遅くて困ります」と言った私に、大沢先生は「それは、あなたが後でね、という言葉で育てたからです」と言われました。事実その通りで、当時、家は小売店をしていて、「お客さん」と呼ばれれば、子どものことは放っておいて店に出て、子どものことはいつも後回しにしていました。「なんで見てもいないのにわかるんやろう?」と不思議に思ったのを覚えています。

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4、オールOKの実践 Practice of "All OK"

編集部 お二人とも15年前に悩みを抱えた状態で大沢先生に出会い悩みの相談をされたわけですが、その後、各々の悩みはどうなったのでしょうか?
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立木 私は、大沢先生から平成5年11月の初回セラピーを受けた時に「オールOK!子育て法」(注2)を指導されました。上の娘が13歳(中2)、下の娘が11歳(小6)の時です。
夫のうつ病の治療なのに何故に「娘たちにオールOK!で接してください」と言う指導をされたのか分からないまま、先生の「大丈夫」という一言に押され、帰宅後、我が家での「オールOK」が始まりました。今から思えば、それは大沢先生の作戦で・・(笑)

それまで、私は、娘たちに指示命令しても、褒めたことは一度も無かったと思います。そんな私が、娘たちの要求に対して「オールOK」ですよ。やってみた方はわかると思いますが、これが、苦しくて苦しくて(笑)頭痛が3ヶ月続きました。支配されて育った私が娘たちへの支配的態度を封印する事は、ストレスが発生して身体化したのでしょうね。

娘達は最初は戸惑っていましたが、色々要求を出して来ました。例えば、新しいスナック菓子は開封して1個たべて「後はいらない」(苦笑)洋服買ってとか、着物買ってとか。まるで、私を試すみたいにね。(更に苦笑)
世間的にみると「馬鹿な親が娘に贅沢させて」となるんでしょうが、娘の心の栄養になると思いOKしました。

年が明けて平成6年1月から私自身の精神分析治療が始まりました。結局、夫のうつ病がきっかけで自分の問題に気付き月に2回、大沢先生のセラピーを受ける事にしたのです。夫は自殺願望が強く何度か自殺未遂をし、私もストレスを強く感じていたので助かりました。
家庭内で子どもに「オールOK」すると、夫は子どもに嫉妬するんです(笑)。だって、義母に厳しく育てられてきたから。支配されてきたから。
子どもは私に甘えられるんですけど、夫は甘えられない。当然、夫は不快なわけで「元に戻してくれ」と言ってきましたね。抵抗ですね。でも、夫も子どもに対する嫉妬に気付き、自分自身が親に甘えてこなかった事がわかるわけですよ。そこから、育て直しです。「愛情の取り戻し」。当然、子育ては母の役目なのですが、今更、夫は義母へ甘えられない。結局、私が義母の代理母になるわけです。そうそう、思い出した。夫の「髭剃り」までしましたよ(笑)。
私が「何でも要求して」と言い段々上手に要求が出せる様になってきて、「元に戻して」とは言ってこなくなりましたね。結局、心の病は「世話行動」でしか直らないってことです。
2年後、夫は仕事に完全復帰。私は精神分析を受けたことで、以前には無い安定した穏やかな気持ちが持てるようになりました。(笑)
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天海 立木さんは、すぐに「オールOK」されたのですが・・・私も子どもへの対応法「オールOK」の話はきいていました。それから、2、3回セミナーへ参加し、大沢先生の話しを聞いたでしょうか?「オールOK」は理屈では納得するものの実際には「私にはできない」と思い一度は諦めました。私も母から厳しく育てられた為か、どうしてもできないのです「オールOK」が(苦笑)。

それから約半年、悶々と悩みながら図書館へ通って育児書の類を読み漁りましたが、やはり大沢先生が言われた様な事しか書いてありません。意識の上でどんなに「優しくしよう」としても、口が出る、手が出る。これはもう「治療の範囲やな」と、意を決して「精神分析療法」がどういうものかよくわからないまま、大沢先生の元を尋ねました。

当時、夫からは「お前は聖母マリアになりたいのか!」と反対されながらも、月1回大沢先生のセラピーを受けることにしました。

私が家庭内で子どもたちに「オールOK」を始めると、夫は「そんなに娘たちをわがままにしていいのか?」ときいてきましたが、実際、娘たちの表情は明るくなりました。朝から晩まで口うるさく指示命令して来た母親が言う事をきくのですから、娘達は今まで私にできなかった要求をしてくるようになります・・・。

結果、我家は娘達の要求によって買われたオモチャが氾濫する事になりました。(苦笑)

当時、私が大沢先生に愚痴ったのを今も覚えています。「子どもの頃は、親の言う事をきけ・・と言われ、母になって精神分析を知ったら、今度は子どもの言う事をきけ・・と言われ、私は一体、何時、誰に言うことをきいてもらえるんでしょうか?」と。
先生は一言「それが貴女のアイデンティティー(Identity)です」といわれました。(苦笑)
私は、娘たちがほったらかしにしたオモチャを辛い気持ちで眺めながら、人間の欲望の限りなさを感じ、「本来子どもとはこれでいいやなぁ」と思いました。

自分を振り返ってみれば、子どもの頃から、自分自身や家庭・家族に対して違和感がありました。自分を認められたり誉められたりすることはなく、怒られること、小言を言われることが多かったので、いつも不安で対人恐怖症で、漠然と「自分の育ち方はどこかおかしい」と感じていました。
でも、セラピーの中で、自分の養育史を話すと、大沢先生から「貴方の感じてきた事は正しい」と言われホットしたのを覚えています。やっと自分を理解してくれる人が現れた様な気がしたのだと思います。
例えば、私の父は私にしょっちゅう「感謝しろ!感謝しろ!」と私に言います。私にしてみれば、それは苦痛で苦痛で。大沢先生は「感謝とは子どもに強要するものではなく、子どもから感謝されるような親になること」と言われました。自分の中で「納得!」って感じでしたね(笑)。それまで、父から支配抑圧されてきた自分にとって革命的な事でした。セラピーを受ける中で精神発達理論も知る事ができ「あぁそうなんや、今まで知らんかった」「やっぱり自分の育ち方はおかしかったんや」と思う事が多かったです。

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5、人生の決断 Decision of Life

編集部 なかなかオールOKは大変ですね。さて、それから、精神分析の世界に足を踏み入れたお二人はどうなっていくのでしょう?
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立木 私は、平成8年に、大沢先生から「精神分析家養成講座を始める」と聞き精神分析家を目指すことにしました。先生の指導で夫が仕事に復帰した事が嬉しくて、精神分析を多くの人に知って欲しい、少しでも、悩んでいる人、苦しんでいる人の手助けができればと思ったのです。
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天海 私も、立木さんと同じ精神分析家養成講座を受講しました。ですから、私と立木さんは講座で運命の出会いをする事になります(笑)
私も「自分だけがおかしいと思っていたけど、回りをみれば皆おかしいと思い、精神分析の理論を世に広めたい」という気持ちが強く精神分析家を目指す事に決めていました。娘たちには「分析家になれたら一緒に海外旅行に行こう」って言っていました(笑)。ここでも夫は大反対で「お前は騙されてる。そうやって金を巻き上げられるや!」って(苦笑)。
私は京都からの受講でしたので月2回、朝6時起きで帰宅は夜の11時。新幹線で東京へ行ってそれからJR高崎線で埼玉県の行田市迄です。確かに交通費も時間もかかりますし、でも、分析に対する自分の気持ちは確固としたものがありました。
思い起こせば、早朝にお弁当を作っていたら「新幹線の架線が燃える事故が発生しました」というニュースをテレビで知って慌てて家を飛び出したり、降雪で新幹線が遅れて焦ったり。「関が原」付近が真っ白だった光景を覚えています。でも、幸いにして一回も講義に遅れた事はありませんでした。
夜11時前に京都に着くと、夫と娘二人が駅に迎えに来てくれていて、帰宅してファミコンの「ボンバーマン」を私の帰りを待ちわびていた下の娘としました。それも深夜1時か2時まで(苦笑)。きっと娘も寂しかったのだと思います。

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6、精神分析家養成講座

編集部 分析家養成講座はいかがでしたか?
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立木 受講生は10人位でした。大沢先生の精神分析理論は受講して楽しいし、何よりも一緒に頑張る仲間ができたのは収穫でした。天海さんが京都から来られていると聞いてびっくりしました(笑)。講座を受講して帰りのJR高崎線の中、みんなで、オールOK対応法の失敗談を話したり聞いたり笑ったり、励ましあったり、学生時代に戻ったようで楽しかったよね。みんなが相互理解者って感じだったから。あ、そうそう田村精神療法研究所(東京都台東区橋場)の田村さんも一緒だったよね。私たちが正式な大沢先生の正式な精神分析家養成講座の受講第1期生なんです。
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天海 そうそう、分析理論は「おもしろくてしょうがありませんでした」「そうか、そういうことになってるんや」という驚きの連続。今、思えば主婦の私が、月2回、自分だけの時間をもてたのは新鮮だったし贅沢な時でした。精神分析家養成講座を録音したカセットテープを聴きおこして、内容をノート書き留める日々でした。学生時代にあれくらい熱心に勉強しておけば・・・・ネ。
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立木 笑。わたしなんか、講座を録音したテープを夕方の犬の散歩に毎日聴いていて、あんまり聴くから、テープがワカメみたいに伸びちゃったり絡んだりして聴けなくなってしまったテープもありました。早く理論を理解し自分のものにしたいと思っていましたね。
講座から講座の間の2週間に起こった事件の分析はとっても興味ありましたね。あと、仲間の症例の分析が勉強になりました。先生の分析が鋭くてね。症例を自分と比較したり。
思い出した!先生が講座の度に、世間を騒がせたニュースを分析してたけど、あの時、神戸ですごい事件がおこったじゃない。えっと・・・

天海 神戸の少年A事件。酒鬼薔薇聖斗事件でしょ?(注3)大沢先生が詳しく解説してくれて、私、週刊文春を取り寄せました。少年が新聞社に送りつけた「声明文」全部掲載されている号。

立木 うん。私も少年Aの母が書いた本(「少年A」この子を生んで)を買いました。

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7、酒鬼薔薇事件 Sakakibara affair

編集部(注4)
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酒鬼薔薇事件については、大いに話がもりあがったのですが、長文になりますので以下にまとめさせて頂きます。大沢先生の事件分析の中で、少年Aが新聞社に送りつけた「声明文」などから、事件をこう分析されたのを覚えているそうです。

この事件のポイント、精神発達論的な視点でみると・・
①、母が少年Aを厳しく育て、躾けまくった。「オールOK」していない。結果、「自我」が脆弱であり「主体性」が育っていない。これは、「精神的な死」を意味している。

②、母は専業主婦にもかかわらず、祖母が少年Aを可愛がった。この事実からも、母が眼差しを少年Aに向けてこなかった事が推測される。少年Aは自身を「透明な存在」と称している。これも、少年Aの主体性の欠如へと繋がる。

③、少年Aは祖母(現実には実母の代理母)が亡くなってから「死」に関心を持つ。彼は自身の声明文で「ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている」と言っている。これから推測すると、彼自身は、死を「精神的な死」と「肉体的な死」の2通りの死を理解していると推測できる。・・彼は生きながらに精神的には死んでいた。実際に死ぬことを目の当たりにして「死」により強い関心をもつことになり「死」を事件してみたくなった。こうして「殺人ゲーム」が始まった。

④、バモイドオキ神、儀式名(アングリ)など、オリジナルな言葉を作っている(造語)。自分だけのルールを作る。これは、精神分裂病(統合失調症)の特徴である。通説では、精神分裂病は17、18歳で発病すると言われていたのだが、事件の加害者が14歳であったので先生も驚かれていた。

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8、エピローグ Epilogue

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天海 もう10年も前の事なので細かな記憶があやふやなんやけど、先生が言われた「人生のからくりが分かります」という一言を鮮明に覚えています。
確かに、講義を聴くたびに「今まで知らんかった」「なんや、もっと早くに知っていればなぁ」といかに自分が無知であったかを思い知らされました。・・・恋愛、結婚、家族生活、出産、育児・・すべて、人間の精神発達論を知っているか、いないかは大違い。講座を受ける度に「精神科学や分析治療を絶対広めていく!」って思いましたね。
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立木 20歳前に精神発達論を知っていたら人生違っていただろうと思ったものです。それはそれで、これから先はと考えると色々と思いが広がったものです。もっと知りたい、一人でも多くの人に知って欲しい伝えて行きたいと、「知った時が始まる時」。いつでも、そこから始めれば良いってことです。精神論に出会えたことは、私にとって生きる喜びになりましたね。

(以下次号につづく)

 今回は、精神分析(セラピー)との出会いから、精神分析家養成コースを受講するに至った経緯を、二人の女性精神分析家に語って頂きました。神戸の酒鬼薔薇聖斗事件まで出てくるとは意外な展開になりました。

 次回は、養成コースを終了されたお二人のその後・・・を掲載します。
 さて、どんな展開が待っているのでしょう?きっと紆余曲折が待っている事と思います。
 
 お二人への質問コーナーなどを新設します。
 記事の感想や、お二人への質問メールなど、どしどし受け付けます。

 月刊精神分編集部までメールをお寄せ下さい。
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 お便りをお待ちしています。(月刊精神分析編集部)

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9、その他 注釈

(注1)大沢先生
精神分析家。大沢精神科学研究所主宰。
1951(S.26)年生まれ。
出身:埼玉県行田市。
27歳の時に一過性の分裂病に罹った事をきっかけに独学で精神分析家となる。開業15年。著書:心的遺伝子論(精神分析的生み分け法)

(注2)オールOK!子育て法
端的に説明すると、子どもの要求を全てOKし、待った無しに言われた通りにすぐ動く対応法、世話行動をいう。子どもの健全な自我の育成、主体性の獲得を目的とする。

(注3)神戸連続児童殺傷事件
この事件は、1997年に兵庫県神戸市で発生した連続児童殺傷事件で、別名『酒鬼薔薇事件』とも呼ばれている。犯人は14歳の普通の少年であった事も世間を震撼させた。

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Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 大沢秀行氏(インテグレーター名:惟能創理)の精神分析を受け、インテグレーター(分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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