はじめに

編集部A こんにちは、月刊精神分析編集部Aでございます。今月号は「いい子が危ない」と題しまして、東京精神療法研究所の立木歩実先生に語って頂きます。立木先生、本日はお忙しいところありがとうございます。さて、今号の「よい子が危ない」ですが・・・私が想像しますに、パッと見、普通に生活している人でも、精神内界は非常に危うい状態にあるということでしょうか?
立木歩実 そうですね。今回は、よい子が如何に危ないか?と言う話です。
編集部A そういえば、加藤智大被告も秋葉原殺傷事件を起こす2日前迄、普通に大企業に勤務していましたからね。普通の市民がある突然、殺人鬼に豹変してしまった様にも見える事件でした。実際には、彼の精神内界では子供時代から、じわじわと破滅への歩みを進めていたわけです。詳しくは、月刊精神分析 2009年09月号 特集 秋葉原無差別殺傷事件を御覧下さい。

立木先生のプロフィールは次の通りです。

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プロフィール

今号の登場人物のプロフールは以下のとおりです。

惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
宣照真理・立木歩実・編集部Aのスーパーバイザー 。
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立木歩実近影
立木歩実(たちきあゆみ)
精神分析家。東京精神療法研究所(神奈川県海老名市)主宰。
1954(S.29)年10月10日生まれ。
出身:神奈川県海老名市。二女の母。
尚美音楽専門学校ピアノ学科(東京都文京区)
(現:尚美学園大学 埼玉県川越市)卒業。
ピアノ教師をしながら結婚。
夫のうつ病に悩み惟能創理先生の精神分析治療を受ける。
インテグレーター(精神分析家)養成講座を受講の後、独立開業。
現在、新進気鋭の分析家として、東京首都圏を中心に母親代行業を精力的に展開。
連絡先:tokyo.mtl@gmail.com
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編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営を経た後、月刊精神分析編集部。
ひょんな切っ掛けから「精神分析」の世界を知り、約三年半色々な書籍を読み漁る。
「月刊精神分析」の編集に関わりながら、惟能創理先生のセラピーを受けている。
lacan.fukuoka@gmail.com

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私の兄の事

立木歩実 まず最初に、享年42歳で亡くなった私の実兄の話をします。今生きていいたら、ちょうど60歳の兄です。私の実家は所謂、本家で、兄は長男。自動的に、本家の跡継ぎでした。 妹の私からみた兄は、周囲の人々への人望も厚く、優しい兄でした。 葬式の焼香の際には人の列が途切れず、ご僧侶が唱えるお経が終了しても焼香が続いている位でした。 そんな兄の生い立ちは、小・中・高校と、優秀な成績で過ごし、最終的には専門学校の機械科を卒業。オフィスの設備関係施工する会社に入社し、現場監督(マネージャー)の様な仕事に従事しました。職人さんを指導し、納期までに仕事を終える責任者です。 以上が、兄のパッと見の世間の評価になると思うのですが、 本家の長男、成績優秀、グレもせず、非行に走るでもなかった周囲の人望も厚かった兄が、なぜ42歳で亡くなったのでしょうか? 世間からみたら明らかによい子だった兄ですが・・・ 病名は白血病でした。精神分析の世界では、白血病は赤でない白、白い冷たい人・・母のぬくもりがない人と言った解釈をします。
編集部A この話をきいて、私はすぐ同じ病で亡くなった夏目雅子さんの事を思い出します。たしか彼女も母娘関係がうまく行ってなかったとききました。
立木歩実 その他、兄は幼少から喘息持ちで、大人になっても喘息のけがありました。精神分析の世界では、喘息は、言いたい事が、言葉に出来ないから咳になると捉えます。母への叫びが喘息です。あと、兄の子どもは二人いますが、両方共女の子です。精神分析的視点でこれを解釈すると、私の兄は男性性が無かったと言う事になります。
編集部A 詳しくは、月刊精神分析2010年01月号心的遺伝子論 精神分析的生み分け法をご覧下さい。
立木歩実 外見は男らしい兄でしたが、精神的には女性性であったと言う事です。上記のもろもろの解釈は精神分析の世界の話で、兄の死後、精神分析の視点を獲得した私が、考察したものです。つまり兄は所謂、よい子で、本家の長男と言う立場に飲み込まれ、主体性や男性性を獲得出来ずに、自分の(主体性のある)人生を生きること無く、42歳の若さで亡くなってしまったのです。 兄が結婚して一年も経たない(兄が30歳位の)時の話。母と兄の嫁の折り合いが悪く(嫁姑問題)、兄夫婦が別居を企てたのですが、母の「あなたは長男でしょ」一言で却下され、結局、兄夫婦は兄の最後まで本家で両親と同居しました。本当は、兄はどう言う人生を歩みたかったのか?今となっては知る由もありません。ただ、私が思うに、本当は「本家の長男」などと言う定めのある立場ではなく、もっと自由に生きたかったに違いありません。 「自分らしく生きられない、この家からのがれられない、飲み込まれてしまった」それに気づいてしまった兄は、自分で、自爆スイッチを入れたのではないでしょうか? 心理学の世界に「疾病利得」と言う言葉があります。不登校気味の児童が登校時に腹痛や頭痛を訴え、学校にいかないでいい状況になると嘘の様に症状が治まってしまう様な事を「疾病利得」といいます。兄は、雁字搦(がんじがら)めの状況から脱出する為に白血病発病という疾病で、苦しみから解放という利を得たのです。以上が「よい子」である筈の私の兄が42歳で亡くなった事に関する分析です。 では、兄は本来どう言う人生を歩めば幸福だったのか?精神分析的幸福論は最後に語ります。

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B子さんの事

立木歩実 以下はあるクライアントの事例です。ここでは、問題のある「よい子」の事例を述べます。彼女を、B子さんとしておきましょう。 よい子の問題点は、主体性がないと言う事です。 こう言う言葉を並べるとわかっていただけるでしょうか? 「自分で、自分が、自分でない」 「何の為に生きているか?」 「自分の為に生きるという感覚がない」

B子さんは常に「母だったらどう言うか?父だったら何を選択したら喜ぶか?」等、すべて家族の立場で、先読みしながら動いていました。そして「自分が叱られない事」を選択基準の第一としていました。これでは、本当に自分がしたい、食べたい、行きたい、など、の主体がすべてわからなくなってしまいます。B子さんは、自分の判断を求められたときに動けなくなります。



交友関係

編集部A B子さんの交友関係はどうでしょうか?
立木歩実 B子さんのお母さんは外で仕事。それで、家にいる、おばあちゃんが、B子ちゃんの交友関係を制御しています。遊んでいい子供と遊んでいけない子供。おばあちゃんが決めた子としか遊ばないと言う状況です。
編集部A おばあちゃんが支配者ですね。
立木歩実 はい。常に「あのこはどこのこ?」「あの人とあそんじゃいけない」「片親の子供とあそんではいけない」等と指示命令され遊ぶ場所も限定される。 クリスマスプレゼントも欲しいものをもらえない。プレセントにおもちゃが来ても、それは、B子さんが欲しいおもちゃではありませんでした。親の勝手な思い込みのプレゼントが来るだけ。常に一方通行で交流がない。こう言う状態を「親に飲み込まれた」状態と言います。


これが長く続くと・・・・。

立木歩実 そういう事に疑問を持たない。「なんで?」という疑問すらない状態が続きます。「うるさい」って言う言葉も交流のうちですが、「はいはい」言うのは交流がありません。家族の中にいながら、B子さんは孤独です。一切の交流性がありません。

B子さんは成績優秀

編集部A B子さんの学校生活は上手くいっていたのでしょうか?
立木歩実 B子さんは成績もよかったようです。ただし、親の顔色をみながらの勉強だった為、良い成績を取れば家の中で波風がたたない。だから、成績がよければいい。ここでも、本人の思い込み優先で交流がありません。


B子さんがぶつかった壁

立木歩実 順風満帆で育ったかの様なB子さん。壁は23歳の時にやってきました。就職して社会人となった彼女はいきなり人間関係で壊れました。他人と一緒にする仕事でも、一人で、全部、「思い込み」で動いてしまいます。初めてリアルな人間と会話をするようになったものの、自分の中でうまく処理ができなくて、崩れていきます。同僚からは「どんくさい」と言われ、会話が成立しません。社会に出て、主体性を求められて、初めて自分が答えを持ってない事に気づきました。更には「車にひかれて死にたい」と思うようになり、心療内科で「うつ病」と診断されました。

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良いこの構造:主体性のなさ

立木歩実 私は以前、ピアノの教師をしていました。児童ピアノも教えた経験があります。そこから、よい子の事例を紹介します。

親御さんが張り切って、子どもさんをピアノレッスンに通わせるケースだとこうなります。あるカリキュラムに則って子どもさんにピアノレッスンをします。熱心な親御さんは家でも子どもさんのレッスンに付きっきりです。ところが、 母親が出来るところまでは、子どもさんを指導されますが、子どもさんが伸びると、母がみれなくなります。・・・と、テキメンに、それから伸びなくなります。
落胆する、がっかりする、更にガタガタになると言う悪循環になります。レッスンも来り来なかったり、スケジュールもガタガタになります。

編集部A では、順調に伸びていくケースはどの様なケースでしょうか?
立木歩実 それは、ずばり、子どもさんがピアノが好き!・・・と言う時は伸びます。つまり、好きでもない子どもが、親に言われてピアノ教室にきても伸びないと言う事です。親からの一方的圧力に押され「よい子」がレッスンにやってきても難しいです。私の経験で言えば、子どもさんの「ピアノに関してのワクワク感」「リズム感」は天性のものです。

好きな子が主体性を持ってピアノを楽しみ、褒められれば、自然とうまくなっていきます。最初から、子どものテンポでやっていれば伸びるのです。もちろん、指導は「褒めること」が基本です。ここでも如何に主体性が重要かがわかると思います。

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自分を振り返って

立木歩実 私自身の生い立ちを振り返ってみます。兄の例のところでも述べましたが、実家は、所謂、本家ですので、しょっちゅう沢山の親戚筋が集まる家でした。そんな中、私は、早々と率先して、母親の代行をし、親戚に出す料理の買出し、料理の段取り、配膳まで仕切っていました。 今、自己分析すると、私にしてみれば、兄同様「家に飲み込まれて」「自分を親のコピーにして、周囲の大人達から・・配慮が行き届いている、気がきくという評価を得て、周りを喜ばせ、親を喜ばせ、褒めてもらおう」と言う構図だったと思います。 ところが、私自身は親から褒められた事など一度もありません。出来て当たり前だったのです。それが、私です。 要領がよかったのか、なんだか知らないけど出来てしまっていました。だから、・・出来なかったら子どもでいられたのですが・・・でも、出来ちゃったから、母親がすべき事ができた。接待、お茶だし、本家・・しきっちゃう、料理、台所関係・・なんでも。

逆に、母が私に相談してきます。何をどれくらい用意するか?料理の材料の買出しからです。

お祭り、新年会、正月三が日、全部料理は私がつくりました。重箱も母でなくて私がやっていました。私にしてみれば、褒められなかったのは納得がいかない。出来て当たり前。 で、やる。褒めるかな?やる。褒めるかな?やる。褒めるかな?やる。褒めるかな?それが延々と続きました。

私の娘時代を振り返ると、まず、自分の行動基準が「他人」。この人は「自分がこう動いたら喜ぶだろう」という憶測。ただ、この憶測は外れません。本来の自分は「からっぽ」。自分で何をしたいのかもわからない。ただ、頭のいい、よくできた子。そして、それが当たり前。・・・「家」の決まりです。

ここでは、主体は「家」です。「家」の基準にあった子供になる。「個人」の決まりはない。「家」の決まりがある。「個」は存在しない。個人の主体性がない家。個人の主体性の存在すらない。主体性がないと「個」が抹殺され「何がしたいか」「何が欲しいか」 さえもわからなくなる。

ここから先は、私の体験です。

音楽大学を卒業の半年後、原因不明の病に罹りました。身体が動かなくなり、だるくてだるくて、ずっと寝ていたい衝動にかられました。私自身、この「だるさ」は内科の病院では治らないと思い、整体に週三回通いました。この時点で、私は既に、自分の自我の脆弱さに気がつき始めていました。学校選びも「これなら家が納得するだろう」と言う選び方でした。今思えば、当時の自分は家主体で生きていましたし、いい子にしてるとストレスがかさむし、ヒステリックになります。ですから、音楽大学を卒業し半年して、発病したのは当然だったかもしれません。この身体のだるさは、何故か半年間で治りました。しかし、主体性が無いと言う心の病が治療されたわけでもなく、問題を引きずる事になりました。

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私の結婚生活

立木歩実 それからしばらくして、結婚する事になりました。私にとって結婚とは・・・子どもを育てる・・・家庭運営が主な目的でした。私は、ストレスを感じながらもなんとかこなせました。結婚相手の夫は私と同類、真面目ですが、いい子育ちで主体性はありません。類は友を呼ぶで、主体性が無い二人が結婚する事になったのです。いい子たちだから、主体性も無くマニュアルを読みながらの様な生活です。そのマニュアルとは・・「世間からみたいい家庭」こう言うモノだろうという憶測で、生活自体を演じる事になります。「こう言うものだろう」「世間並み」「道徳的」「他人さまから指を指されない生き方」そういうモノが主体になります。二人ともある程度の順応性はあるものの、主体からの指示でしか動けません。

ある日、夫の様子がおかしい事に気が付きました。うつ病です。言われた事しか出来ない夫、そんな夫が、自分では、こなせない業務をあてがわれました。自分の力では対処できません。責任が重荷です。結局、夫は自宅療法をする事になりました。

妻として「どうしていいのかわからない」私は、相談したい相手が欲しくてドクターショッピングに走りました。数えきれないほどの医者に会いましたが、私がわかった事は、「夫の病気は医者では治せない」と言う事です。医者では無理と判断したのは、今の日本の保険医療の制度では、医者がじっくり患者の話をきいて、適切なアドバイスをする様な仕組みになっていません。お医者様は、保険医として、診断を下し、病名をつけ、症状を和らげる薬を処方するだけです。結果、一時的にうつはよくなっても、根本原因にアプローチしていないので、良くなったり悪くなったりの繰り返し。軽いうつの場合はそれで生活に支障がない程度に戻り社会復帰できるのでしょうが・・・・・

私は「あぁ根本治療はありえないな」と思いました。そんな時、私は精神分析家の師:惟能創理先生と運命の出会いをする事になります。最近も、有名俳優で旅館の女将をされたいた方が、うつを煩い自殺されたとききました。胸が痛みます。私は夫のうつを治したい一心で、惟能先生の話をききました。惟能先生の精神分析治療と、私への夫への対応法の指導で、夫のうつは治りました。もう、自殺を企てる事もありません。自分の主体性をもち、車、パソコン、海外旅行、・・・なんでも自分の思いを通す様になりました。以前とは雲泥の差です。

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オールOK子育て法

立木歩実 私達は、子育ての方法について「オールOK子育て法」を推奨しています。

詳しくはこちらのサイトを参照して下さい。

オールOK!子育て法

簡単に言うと「子どもの言う事に全てOKし、待った無しに言われた通りにすぐ動く事」・・・。

サイトから一部引用します。

「小さい頃からオールOK!で育った子は、しっかりとした自我を形成し、主体性を持っていますから、何か困難なことにであったり、迷った時、自分で考え自分で最善の道を選択していきます。もちろん親や周りの人に相談することはあります。しかし最終的に決めるのは本人です。また好奇心旺盛で様々な事に興味を持ち、自ら動くエネルギーがあります。オールOK!され思いやりや配慮されているため、それをまた周りの人にすることができます。それは人から良く思われたいからではなく、自然に人のことを思いやる行為としてです。」

如何でしょう?巷で問題になっている、イジメや引きこもり、登校拒否とは無縁の子どもに育ちます。また、この育児法は、児童の時だけでなく、子供がいくつになっても、この方法で「育て直し」ができるのが魅力の一つです。

歳をとって、成人しても、何の自主性もなく、家に引きこもっている子どもの精神年齢はいくつでしょうか?心理学の精神発達論を引用するまでもなく、あたかも学童以前の状態ではないですか?主体性を持たせる事が如何に大切かと言うことがおわかりになると思います。

夫のうつ病がきっかけで惟能創理先生のセラピーを受け始めました。そして、先生は、私のオールOKの対応法を指導されました。それも、夫にではなくて、私たちの二人の娘に対してです。

詳しい話は、以前の月刊精神分析 私と精神分析に掲載されているので、そちらを参照して下さい。

月刊精神分析08年11月号 特集 私と分析

結局、作られた良い子は主体性を持たない為、人に対する接し方も知らないし、他人の世話もできません。当然、「どういきたらいい」かも分からない。・・となるわけです。

そんな、主体性の無い家族関係、家庭環境に「オールOK」を持ち込むとどうなるか?夫にすれば、「娘たちを甘やかせている」状態になるわけです。子ども達は私に「ばんばん要求」を出してきます。「あれして」「これして」笑。そんな母娘の関係を横でみていた夫は、娘たちが「対応してもらう心地よさ」を感じているんです。夫が反応します。一種の嫉妬ですね。

支配されて育った夫。支配される心地よさに浸かって、親となったら今度は娘たちに支配的な態度で接していいた夫が、娘たちと同様に、私に甘えてくる様になりました。オールOKする方(私)は、言われた事のみ対応しますので、甘えたければ自分で要求をしなくてはなりません。これが・・

自ら要求する事の訓練=主体性を育む・・と言う事なんですね。

自分で要求した事が、結果、自分に心地よいか否かで、自分が「何がすき」「何がきらい」かがわかってきます。自分で要求する事=自分の言葉を持つ事です。

以上で、娘も夫も主体性を獲得する事になりました。娘や夫の要求に応える事で私も成長できました。

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精神分析的幸福論

編集部A 立木先生、ここまで「いい子」の問題について、主体性の欠如がもとで起きる様々な弊害を説いてまいりまいた。

これは私が日ごろ感じている事なのですが、子どもにしてみれば「良いも悪いも」自分が育っている環境や親との関係は、好んで自分が選んだものではなくて、生まれてからずっとそういう環境の中で育っただけの事です。ですから、それによって主体性が云々と言われても「全くピンとこない」のではないでしょうか?かく言う私も、育った環境は「ある宗教に傾倒した家庭」でした。子どもにしてみれば、好きでも嫌いでも、その環境から逃れる事はできません。少なくとも経済的に自立できる様になるまでは、その環境、親の考えに追従せざるを得ないわけです。親の不機嫌=子どもの存在を脅かすものなのです。そこで子どもは、 当然「波風立てたくない」、自分の考えや主体があっても、敢えてそれを表面化せず、形の上では親の言う事、家のシキタリの範疇で生きていくのだと思います。
立木歩実 確かにそうですね。しかし、人間が、変化していく世の中に順応して生きていく上でいつまでも親の範疇の中だけで生きて行ける筈がありません。精神分析(セラピー)では基本線として「自分の人生を自分で切り開いて自分で楽しもう」と言うポリシーがあります。

思春期を迎えた子供が親に反発し出すのは大変良い事で「子どもの主体性」が育ってきている事を示しています。ところが、思春期を迎えても親に従順でいる子どもは問題が隠蔽された状態と言えます。無難に、思春期を通り過ぎても、それで安心でしょうか?進学問題。就職問題、結婚、転勤、昇進、配置換え、人生と言う名の旅はまだまだ続きます。

そして、その場面、場面で、自分自身が主体性を問われるケースが沢山でてきます。今まで「親の意向、家の都合で生きてきた」、いや「生きてこされた人たち」は自分の主体性を発揮して課題に立ち向かえるでしょうか?

多くの場合、「よい子」は、心身ともになんらかのストレスを感じます。お医者さんから立派なな病名をつけてもらえるものから、原因不明の・・アレルギー性なんとかと言う名前が付くものまで。その時に「おかしいぞ」と感じて下さい。今の自分は、本来の自分が望んでいない自分なのでは?と思って下さい。 自分への「といかけ」を始めて下さい。幸福だったらもっと楽しいはず・・・。

自分で自分が「おかしいな」と感じる事から次のステップに進む事ができます。

ここからが「精神分析家(セラピスト)」の登場です。自分を知り、生きるための精神分析の始まりです。
編集部A 私も現在、精神分析(セラピー)を受けています。自分は理系の人間で、理論好きで、理知的に生きてきたと思っていたのですが、精神分析(セラピー)を受けていく中で、自分のとっている行動が「いかにつまら無い事に縛られているか?」「自分が自分自身の幸福感を演出する為に如何に多大な犠牲を払ってきたか?」等を思い知らされているところであります。そういう意味においては、精神分析家(セラピスト)は、等身大の自分を客観的にみせてくれる鏡の様な存在であると思っています。
立木歩実 そうですね。人間、一番わかってないのは自分自身の事かもしれません。笑。例えば、朝、ご自分がベッドから起きる場面を想像して下さい。今日一日、自分のやりたい事が満載ならば、体がだるいとか、気分がのらないとか言ってられませんよね。
編集部A はい。バブル時代、経済的には何の不自由も無かった筈なのに、車もバイクもマンションも大型テレビも買った筈なのに、なんとなく自分についてまわる空虚感・・・あれは当時の自分は全くわかってなかったのですが、それは、「本当に自分がしたい生活」をしているわけではなかったのだから・・と今はわかります。当時の自分は健康問題を抱えていて、いつこの生活が成り立たなくなるかわからないと言った漠然とした不安感を常に抱えていましたし、車もバイクもマンションも大型テレビも、人生の目的ではありませんからね。耐久消費財を購入すると言う類のものは幸福を演出するのにはもってこいなんですが、あれ程欲しかったマンションでも、現実に買ってしまうと、急につまらなくなって、マンションと同時に手に入れた35年間の住宅ローンの償還表が、悪魔からのラブレターの様にみえました。笑。
立木歩実 そんなものなんです。ですから、精神分析(セラピー)が有効なんです。自分が何をしたいのか?幸福を感じるものは何か?クライアント自身が気付く。思い出す。幸福な感じを思い出す。幸福感をイメージする。幸福感を培養する・・プロセスを経る事が最も大切です。中には「幸福がわかりません」「何が幸福なのかわかりません」と言うクライアントもいます。精神分析家(セラピスト)とクライアントの間でセッションを行います。言葉のキャッチボールをします。会話をします。その時にクライアントが反応する言葉があります。無意識が描く夢があります。そこから、クライアントが無意識に、勝手な意味付けしている事をピックアップするのも精神分析家(セラピスト)の仕事です。
編集部A 私もサラリーマン生活が長かったのですが、会社組織に身をおく事はある意味、主体性を放棄し(滅私奉公とも言う)会社の言いなりになって動くことを要求されます。しかし、その中でさえ、主体性を持って自分で判断し、行動して責任を負って行く場面も少なからずでてきます。そういう意味では、受身である部分と、主体性を発揮する部分と両方をバランスよく持っていないと難しい様な気がします。
立木歩実 バランスは大切ですね。精神分析の世界では、よく「動き始めましたね」と言う表現を使う事があります。まず、現在の自分を正しく認識する事。そして次に、あるべき自分をイメージする事。スポーツの世界でもイメージトレーニングと言う言葉を日常的に使う様になりました。今の自分とあるべき自分がイメージできればしめたものです。その落差が大きければ大きいほど多くのエネルギーが発生します。もう、家でじっとなんかしていられません。笑。

今まで主体性を殺して生きて来た人が、あるべき自分に向かって動き出す時は、エナジーを感じます。

是非、これを読んでいる方々も、今の自分、今までの自分を振り返って、あるべき自分をイメージして下さい。きっと、何かが動き出しますよ。
編集部A 今日は大変ありがとうございました。

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Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 大沢秀行氏(インテグレーター名:惟能創理)の精神分析を受け、インテグレーター(分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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